注意点

戒名の広告が度々出てきますが、そんなものに大金を費やすくらいならば、日蓮大聖人の仏法を一人でも多くの人に語ることへ時間と労力を費やしましょう


2024年5月3日金曜日

不完全とは恐ろしいもの

 かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。

……

かの人々を信ずる輩は、おそろし、おそろし。

(報恩抄 創価学会御書新版213ページ~217ページ)


最も正しい法華経以外は、部分的にしか語られていない不十分な経ですので、決して頼れませんね。

2024年1月1日月曜日

電光石火 最前線

 ●池田先生の青年部室長時代の闘争


現場第一である。


そして、同志が苦しまないよう、戦いやすくなるよう、

また、広布の長い展望のうえから、電光石火のスピードで、

あらゆる課題に手を打っていった。


机上で小手先の策を練るのではない。


自らが最前線に飛び込み、誰よりも苦労して、

智慧を湧かせ、活路を開いていくのだ。



現場を見ずに下す判断は、的外れなことが多いですね。

2023年1月1日日曜日

破邪 音声

「師」とは師匠授くるところの妙法、「子」とは弟子受くるところの妙法、「吼」とは師弟共に唱うるところの音声なり。(新1043・全748)

 

【通解】

 「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声をいう。



極悪を打ち砕き続けましょう。

追撃の手を緩めてはいけません。

2022年1月3日月曜日

法華経の行者を求めて

法華経の行者あらば、必ず三類の怨敵あるべし。

三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらん。

求めて師とすべし。

一眼の亀の浮き木に値うなるべし。(開目抄、御書新111ページ・全230ページ)


【通解】

法華経の行者がいれば必ず三類の仏敵が現れる。

三類はすでに現れた。

法華経の行者は誰なのか。

求めて師とすべきである。

それは、一眼の亀が浮き木に巡りあうようなことである。



三類の強敵は必ず現れるものなので、

現れたら自分が法華経の行者である証として、むしろ喜びましょう


2021年1月3日日曜日

弱い善人

●池田先生がご紹介する牧口先生の言葉

牧口先生は、勇気の無い傍観者には厳しかった。


「弱い善人」は、結局、悪に負けてしまう。

(牧口)先生は、いつも口癖のように語られていた。

『善いことをしない』のは
『悪いことをする』のと、
その結果において同じである。

道路の中央に、大きな石を置くのは
悪であり、後からくる人が迷惑をする。

それを承知しながら、
『私が置いたのではないから』と
取り除かないで通り過ぎれば、
『善いことをしない』だけであるが
後の人が迷惑をする結果は同じである。


善を実行できる人が本当の善人ですね!

2021年1月1日金曜日

何でもできる

 ●池田先生の言葉


戸田先生も、生涯、牧口先生に対して「師弟の道」を貫かれました。(中略)


大事なことは、師匠の教えを自身の生活の中で現実に現すことだと教えてくださいました。(中略)


仏法の根幹は「師弟」です。


「師弟」という、何よりも深く、強く、

そして美しい生命の交流の中でこそ、

師弟の生命は「小我」への執着を打ち破り、

「大我」に立脚した境涯を開くことができるからです。


師弟不二であれば何事も成し遂げ、

一切に勝利していけます。


「師弟の道」は、「絶対勝利」の大道なのです。



師弟の道を生き抜き、やりたいことは何でもやりましょう!

2020年4月29日水曜日

心の師と仰ぐ

心の師とは・なるとも心を師とせざれとは
六波羅蜜経の文なり(兄弟抄、御書1088ページ)

【通解】
わが心に対して師とはなっても、
わが心を師としてはならない、
とは六波羅蜜経の文である。


【池田先生が贈る指針】
心は「一日の中に八億四千念あり」
といわれるほど揺れ動く。

厳しい社会情勢で、
不安や動揺はなおさらだ。

その中で、妙法という「心の師」
を持つ創価の青年たちは
立正安国の祈りと貢献を
貫いている。

若き励ましの連帯こそ、
時代の闇を破る力だ。

地球を照らす勇気と英知の光を!

希望の歌声で心を結んで!


人の心のような当てにならないもの
を信じては、悲惨な目に遭います。

必ず正しい方向に導いてもらえる
ものに従いましょう!